Short stories

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硬かった桜のつぼみが緩みだす頃、引越しバイトは忙しさのピークを迎える。

毎朝の新聞配達と月・水・金の花屋、火・木は弁当屋。夕方から夜までは居酒屋の仕込みのバイト。レギュラーでそれらを掛け持ちしていて、空いた日に工事現場と週末は引越し屋の単発バイトをしている。
年末から3月の年度末に向けて工事現場のバイトが増え、そして3月も半ばからは新生活を迎える人たちの引越しのバイトが増える。
だからこの時期は稼ぎ時だ。
来年、大検を受けようと思っているから受験期間はバイトを控えないといけないし、奨学金を受けるつもりではいるけど学費も貯めないといけない。
今稼いでおかないと、とその頃の俺はめいっぱいバイトのスケジュールを詰め込んでいた。

「おーい、バイトー!行くぞー」
「はいっ」
家族連れの引越しに比べて、これから向かう一人暮らしの男性、それも学生さんであれば荷物も少なくて楽なことが多い。ちょっとラッキーかな、なんて思いながらトラックに乗り込む。
新生活を始めるための引越しは、お客さまもウキウキとした雰囲気で、こちらもなんだか嬉しくなる。俺は来春大学に合格できたとしても資金的に今の部屋を引っ越せそうにはないから、その雰囲気だけ味合わせてもらっているってところかな。

到着した先は、いかにも学生さんばかりが住んでいそうなワンルームマンション。
らくらくパックでの申し込みだったから、荷物を詰めるところからのお手伝いだ。きっと大学を卒業して社会人になるので引っ越すんだろうな、と想像をめぐらす。
こういう人生の節目に立ち会えるのも、少し嬉しい。
「こんにちは!反転パンダ引越しサービスです!」
元気よく挨拶とともにチャイムを鳴らす。
無応答
再びチャイムを鳴らす。
「・・・らっしゃい、お願いしマス・・・」
まさに今チャイムの音で起きました、というカンジの若い男性が出てきた。
明るい色の髪は、就職したらやっぱり黒くするのかなぁ、なんて思いながら部屋にあがった俺は、前言を撤回する事になった。
つまり、一人暮らしの男子学生さんの引っ越しは荷物が少なくて楽、ということ。

確かにキッチン周り、調理器具や食器類はとっても少なくて、衣類や靴は(俺よりは遥かに多く)一般的な学生さんよりも多いくらいだからこのあたりは予想通りなんだけど、それより何より。
本の量!
一人暮らしではちょっと考えられないくらいの本の量だった。
「食器とか服とかどーでもいいんだけどさ、そっちの本だけスグ出せるよーにしといてくんない?」
引越し用の梱包材に、手際よく荷物を詰めていく。
大量の本は、ほぼ医学書だった。
それからある特定の作家さんの本と、ベストセラーで話題になった本たち。
「多くて悪ィね」
ぷかり、と煙草を吸うその人に笑みを返して。
「大丈夫ですよ。たくさんお持ちですね、すごいです」
ふぅ、と煙を吐き出しながら、読んでない本もあるよ、と笑う。
「趣味の本を1冊、仕事の本を1冊、時勢がわかる、ベストセラーを1冊。月に3冊。年間36冊10年で360冊。するのとしないのとでキミの人生が変わる。・・・って、昔センセーに言われてね」
でも実際はご覧のとおりの偏りっぷりだ、と再び苦笑いをして煙草をもみ消すと、荷物の仕分けに加わった。
「お医者さまですか?」
お客さまの事情には立ち入ってはいけないのだけど、ついぽろりと口から出てしまった。
「おー、ようやくアレだ、ケンシューイってやつだな」
「へえっ、お医者さんですか。何科の先生?」
同じく作業中の別のバイトの質問に
「あー、いちお、小児科」
答えつつの苦笑いは、
「似合わねーって言われんだけど」
というのが、理由のようだった。
手早く本を詰め込みながら“小児科”の言葉にわずかに体温が上がった気がした。何故小児科なのか、子供が好きなのか、と会話は続いていたけど耳には入ってこず、トクリトクリと少しずつ鼓動が早まってくる。
子供の為になる仕事を−−−そう志したときに小児科医という選択肢が頭をかすめたのは事実だった。
でもそれはかすめただけで、高校も出ていない俺が医学部など、実現可能な選択肢にはなり得ず、そのまま蓋をした。
使い込まれた参考書は暖かみがあって、手に馴染む気がした。
「それ、やろうか?K大のだけど、フツーに使えると思うし」
意識しないうちに参考書をじっと眺めてしまっていたのだろうか。
「え?あっ、いや・・・済みません、そういうんじゃないんです」
慌てて段ボールに仕舞おうとする。
「そ?医学部受験したいんじゃねーの?」
「いえっ」
かぁっと顔に血が上っているのが分かる。
「フーン」
煙を吐き出しながらのその声は、明らかに見透かされているのが分かって顔をあげられず、黙々と荷物を詰めるのに集中する。
「まぁどっちにしてもさ、入試ん時の参考書とか、さすがにもうイラネーから処分してくんない?」

結局、処分するというその参考書はそのまま俺の荷物となった。一般的な入試の参考書としても使えるから、という言い訳を何度も呟いて。
その数ヶ月後、運命の人と出会い、その参考書が本当に役に立つなどとはその時は思いもしなかったのだけど。



 
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