Short stories-つもりん-

その、やはらかな

寝返りをうとうとして、言うことをきかない体に気付いて弘樹はようやくの思いで瞼を押し上げる。
散々愛し合って意識を手放した翌朝は大抵身体中が痛むが、今日のはそれだけではない。
熱っぽく重だるい身体に、ズキリズキリと痛む頭。あぁ、本格的に風邪を引いたのだ、と自覚する。
ぼんやり霞む視線の先には少し赤い顔をした野分が寝ている。
普段は弘樹が糸が切れたように意識を飛ばしても、まだ余裕のある野分が“いろいろ良いように”してくれていた。
けれど昨夜はお互い色々余裕がなさすぎたのだ。
ただでさえ限界寸前まで疲れていたくせに、求め合い過ぎた。
コトをイタしたまま裸で、それも汗やらイロイロ濡れたまま。二人ともが気を失うように寝てしまい、この寒さのなかエアコンのタイマーが切れてしまう。
風邪を引くには十分過ぎる理由だ。
(なんつー情けない大人だ…)
自分は今日休みだから良いものの、野分は仕事だったはずで、大丈夫だろうかと思いながらその肩を揺り動かしてみる。
弘樹のほうが早く目覚めること自体が非常に珍しいことで、それが既に野分の体調が本来のものではないのを物語っている。
「の…ぁ、き」
喉に絡まって上手く声が出せない。昨晩散々喘がされて掠れたのと、風邪引きで喉が痛いせいだ。
それでも弘樹が野分を呼ぶ声に反応しないはずはなく、薄く瞼を上げ、弘樹の顔を確認すると愛しそうに頬を緩める。
しかし弘樹の頬を撫でる手は、いつも以上に熱い。丈夫だから、と口癖のようにいう野分も、さすがに風邪を引いたようだ。

『その、やはらかな』

(アイツ…本当に大丈夫かな…?)
ベッドのなかで、ハァハァと熱っぽい息を吐きながら、それでもなお弘樹は自分のことより野分のことを心配していた。
ほんの少し熱っぽいだけだから大丈夫、他の人に移さないよう、事務処理だけして帰ります、といって出て行ったが、
明らかにその足取りは軽いものではなかった。
遠くで玄関のドアが開く音がした気がする。
(野分…帰ってきた…?)
廊下からずるりと引きずるような足音が聞こえてきたので、弘樹は鉛のように思い身体をベッドからずりおろし、それこそ這い出るような体で部屋の扉を開けると、
野分が先輩医師の津森にズルズルと連れられていた。
「センパイ、大丈夫ですから…」
「おぅそーか。この症状を大丈夫と判断すんなら、オマエ学生からやり直しだ。それも一年な」
そんなやり取りを交わし、弘樹に気付く。
「ヒロさん、起きちゃダメです」
フラつく足で、それでも野分は弘樹を支えて抱き上げるべく近寄ろうとする。
「だー、もー!オマエも横んなれっ」
そんな野分を再度引き摺ってひとまずソファへ押しやると、弘樹の体をふわりと抱き上げた。
「センパイっ…!」
野分が咎める声色で呼ぶが、相手にする津森ではない。
「ったく、何やってんスか、あんたら二人は!」
弘樹のことも医師の顔で叱ったのだった。

尤もな指摘にしゅんとした弘樹を見て満足気な笑みを浮かべると、そのままベッドに運んで下ろす。
「ハイハイ、上気した頬に潤んだ瞳はまた別の時に見せて下さいネっと」
喉のリンパ節に触れたり下瞼を見てテキパキ診察をする。
「水分と栄養と休養。これマストね。病院から点滴持って来たんで、これやったらだいぶ楽になります。が、楽になってもまだ安静で!」
津森がベッドサイドに点滴の用意をする様子をぼんやり見ながら、弘樹は虚ろな頭で思っていた。
(なんやかんやで、コイツって面倒見いいんだよな…今日もきっと野分の状況見兼ねて連れて帰ってくれたんだ…)

「野分〜オマエも寝る用意しろ。薬打ってよっく寝て一晩で治せ!人手不足なんだよっ」
ドアの向こうの野分にも呼び掛けながら、掛け布団の上に置いた弘樹の腕を取り、袖を捲り上げる。
消毒用のアルコールがヒヤリと肌を走り弘樹は身震いした。
点滴のチューブの先の銀の針を、ついじいっと凝視してしまう。
「注射、キライっすか?」
ニヤリと問う津森に、別にと顔を背け、ただよく失敗されるから、と付け加える。
顔を背けた拍子に見えた、弘樹の耳の後ろに付けられた赤い痕。
それに一瞬目を眇めた津森だったが、何でもないように針を手にする。
「失敗しないようにせいぜい気をつけさせて頂きますヨ。んじゃ、ちょっとチクッとしますよ〜」
その言葉に弘樹はぎゅ、と目をつぶってしまう。その様子を、津森が喉の奥で笑った気配がしたが、今はそんなこと気にしてられない。

「上條サン?」
いつまでも固く目を閉じている弘樹に津森が声を掛ける。
「?」
予想した”チクリ”がやって来ずに目を開けた。
「終わってますよ?」
「え…」
だって全く分からなかった、と弘樹が目を丸くする。
「あー、俺ね。イレるのもヌくのも上手いっスよ?」
何やら含みのある津森の言い方に、
「なっ…!い、イカガワシイこと…ゆぅんじゃねぇよっ」
ただでさえ赤い顔をさらに耳まで朱に染めて弘樹が言い返すが、さすがに普段の威勢はない。
「えー?注射のハナシですよ?イカガワシイのは上條サンの頭ん中ですネ〜」
しれっと答えながら点滴の速度の調整をしている。そんな医師としての姿を苦い顔で眺めつつ、今日は敵わない、と若干あきらめの気持ちで誓う。
(早く治そう、そん時は覚えてろッ)

「30分チョットで終るんで、待たせてもらいますね。産廃なんで病院持って帰らんとダメなんで。」
「あぁ、悪い。大したモンないけど…今コーヒー豆いいのあるから、良かったら…」
「それはどーも。ま、30分なんでなんやかんやしてたらスグですよ。お気遣いなく。野分ッオマエは注射だー」
扉の向こうの野分に声を掛けて弘樹に背を向け部屋を出て行こうとする。
弘樹が目を閉じると、津森は振り返り、その耳元で小さく囁いた。

「でもね、上條サンのそーぞーした方も、上手いですよ?今度試してみます?」

「んな…っ」
弘樹がバチッと目を開けると、
「!」
予想以上に顔が近くにあって。
そのふざけた声色の割には真剣な目をしていて。
(キスされる…っ?!)
思わずまたギュッと目をつぶって顔を逸らせた。
クス、と津森が笑う気配がして、さらっと髪を撫で
「…しませんよ」
それだけ言って離れて行った。
(…少なくとも病人には)
付け足しはあくまでも心の中だけで、部屋を後にした。

*

次に弘樹が目覚めたのは、点滴を片付ける音でだ。
「目ぇ覚めました?」
「おぅ、なんかスッキリする」
(で、やっぱ針抜かれんのも分かんなかったな…)
「そりゃ良かった。だからってまだ起きないで下さいよ。喉渇いたらその枕元のスポーツドリンク飲んで下さい。
野分の方は大丈夫ですよ、ほんと丈夫なヤツだ。
レトルトのお粥買ってあるんで、もうチョイ休んだら食べて下さい。
おっと、起きないで。じゃ俺は戻ります。」
礼を言うために起き上がろうとした弘樹を津森は止めてベッドに戻す。
「何から何までありがとう…申し訳ない」
殊勝に礼を述べる弘樹の目に、ふと点滴の後の絆創膏が見えた。
「…ところで…コレは何のマネだ?」
「カワイーっしょ?津森センセー自作のパンダのばんそこですよ。こないだ戴いたパンダの携帯灰皿とお揃いデース」
「んなっ!」
もはや何に対して怒ったのか、先程までよりよほど威勢のいい声の出た弘樹を、柔らかい笑顔で見つめ
「…薬が効いたようで良かった。お大事に」
そう言って出て行った。
(また熱あがる…いや、気のせいだ…)
身体ごと津森の出て行った扉に背を向けて、あとしばしの眠りについたのだった。

web拍手
  inserted by FC2 system