頑張れ野分シリーズ

act.10『遠投』

『志望校調査票』

当時の俺が白紙で提出した紙を前に、先ほどから彼はうんうんと頭を悩ませている。
これに関しては、何もアドバイスできないなぁと思っていると
「なぁ、ケンシューイの先生」
机から顔を上げた彼に話しかけられる。
津森先輩の、元患者だった彼。
テストのたびに病院にやってくるのがもはや定番になっていて、たまたま居合わせたヒロさんに古文を見てもらったこともある。
やんちゃだが憎めなくて、とても一生懸命な中学生は、受験生だった。
「ココの高校さぁ、やっぱ難しいかな、俺には」
ひょいと手元を覗き込むと、そこには都内でも優秀で有名な都立高校の名前が書かれていた。


『遠投』


俺は高校受験をしなかったので、彼の定期テストや実力テストの結果がそこに届くのかはハッキリいって分からなかった。
彼のほうでも、別に俺に答えを求めている風ではなく
「実はさ、まだ津森センセーにはナイショだぞ」
大人びた表情をして、そして
「俺さ、医者になろうと思う」
キッパリと言い切った。
その後で
「いや、なろうじゃなくって、なりたい、だよなっ」
照れて言い直してしまったけれど
「言い直さなくたって。それでいいと思うけどなぁ」

夢は具体的な意思を伴った時に目標となる。

彼の中で、医者になることは「遠い未来の夢」ではなく「近い未来の目標」ということなんだ。
「俺、なれるかなぁ」
少し弱気になる彼を、(まだ俺だって研修中の身ではあるけれど)
「うん、諦めなければなれるよ」
自分に言い聞かせるみたいにして励ました。

「でもまだ津森先生にはナイショだからな」
そう念押しされた所で、先輩がやってきた。
「オマエまた来てんの」
そんなことを言いながらも嬉しそうな先輩に、手元の進路調査票を見せながら
「センセーどう思う?ここ。俺受かるかな?」
同じことを先輩にも聞いていた。

ちらりとそのプリントに視線をやって第一志望を確認すると、ふむ、と顎に手をそえてしばし間をおいてから言ったのは。
「オマエ、キャッチャーはどこに座らせてんの?」

あまりの脈絡のなさに、彼は勿論俺の頭にもクエスチョンマークが飛び交う。
「は?センセー何言ってんの?」
きょとんとした彼の、その頭をぐりぐりと撫でながら悪い悪い、と笑う。

「んーと、オマエの目標がココで、ここに向かってボール投げるってんなら届かないんじゃね?」
第一志望の学校を指差す。

「オマエの目標はこの学校に合格することなの?」
「いや、違う。この学校を目指すのは目標じゃなくって、目標の為の手段だ」

キッパリと言い切った姿に、すっと目を細めて満足そうに微笑む。
俺たち相手にはあまり見ることの出来ない、先輩のやわらかい笑顔。

「手前の目標の、そのもっと先の目標に向かってボールは投げな。
遠くに届かせるつもりで投げろ。
そしたら手前の目標なんて、超えちまってるさ」

そう言い残して、呼び出しに応じて去っていった。
彼もこのプリントはこのまま提出する、と言ってカバンにしまう。
「じゃーな、ケンシューイの先生」
先程よりもしゃんと背筋を伸ばして歩いていく彼の後姿を頼もしい思いで見送りながら
先輩の言葉を反芻する。

目指すところに向かって投げたら、届かないことがある。
ある高校に入りたいだと届かない。その高校に入って何をしたいかに向かった投げる。
医者になりたいだけだと、届かない。医者になって何をしたいかに向かって投げる。
そしたら自ずと目前の障害はクリアできる。

深く納得したところで、ふと思い当たる。
では、医者としてではなく、俺の人生の目標はどうだ?
「ヒロさんを社会的にも精神的にも守る」
この目標に向かって投げると、届かない?
しかも目標であるヒロさん自身が、ともすれば先へ先へ引き離されていく目標なのに。

不覚にも一瞬不安な気持ちに覆われてしまったのだが
それでも今目の前にある問題からひとつひとつクリアしていくほかないんだと
夕暮れの中帰って行く受験生のの背中と自分を重ね合わせながら思いを新たにしたのだった。


web拍手
  inserted by FC2 system