頑張れ野分シリーズ

act.5 『信条』

野分が珍しくピリピリしている。
担当している子供の手術があるらしく、第3だか第4だかの助手として立ち会う機会を得たらしい。
執刀医は部長で、第一助手はアノ津森。恐らく他部署からも見学があるだろうという、結構難しいケースのようだ。


『信条』


家にいる時間が少ないのはいつものことだが、一緒に家にいられる時には暑苦しいほど纏わりついてくるというのに、自室に籠って勉強をしている。
俺はリビングで本を読みながら、野分の部屋から伝わる真剣な気配を好ましく思っている。
『真剣勝負の前はストイックになるもんだ』
かつて家庭教師と生徒という間柄のまま恋人になった時に言ったことがある。
もちろん試験のことだけ考えさせたかったのが第一。
そして正直セックス覚えたてのガキに、会う度に盛られてはコッチの体がもたないというのもあって。 野分も理解して必死で性欲と戦いつつ(?)努力して無事合格という結果を得た。まぁその後の反動といったら半端なく、オアズケしたことを後悔したものだが。
今はあの頃と違う。自ら進んで身を置いている。もう分かっているのだ。

自室に籠って2時間。そろそろかと思いキッチンでコーヒーを淹れる。香ばしい豆の匂いに惹かれてか、野分が部屋から出てきた。
「丁度持って行こうと思ってた所だよ」
「俺もちょうど休憩したかったところでした」
並んでソファに座る。
一口コーヒーを飲んで人心地着いたのか野分がほうと息を吐いて、俺を抱き寄せる。
気持ちを落ち着かせたいだけだということが分かるので、いつものように殴り飛ばしはせずに、好きにさせる。少しでも不安が軽減されますようにと心の中だけで願うが、多分伝わっていると思う。

「実は、結構ビビってます」
俺の肩口に顔を埋めたままポツリと野分が話し出した。
「先輩も毎日膨大な量の資料を読んでて。俺は知識も経験も追いつかないからそれ以上に時間かけて勉強するんですけど、それは全く苦にはならないんですが・・・先輩が・・・」
野分が自分で言葉を続けるのを待つ。
「色んなケースの中でも悪いパターン、最悪のケースをシュミレートしとけって・・・
言わんとすることは分かるんです。理解はしてますが・・・それが辛いというか・・・」
大切な患者の最悪のケースを想像するのが、気持ち的にしんどいのだろう。
医師として、社会人としての理解に野分個人の感情がついていかないのだ。
そんなコイツが好きだと思う。
「すいません・・・弱音なんてヒロさんに聞かせたくなかったはずなんですけど」
まだまだ修行が足りません、と付け加えた。
「分かるよ。お前の気持ちは」
軽く背を撫でてやってから、体を離して野分の顔を見る。大事なことは目を見て話すこと。
「でも津森の言うように、最悪の状況を想定して準備することは危機管理の上でも大事なことだ。
お前もアタマでは理解してるだろ?だったら目ぇ逸らさずやれるよな?」
これで良かったのかは分からない。ただ応援の気持ちは込めた。

野分はもう一度俺を腕の中に抱き込み、ぎゅ、と力を込めてから体を離し立ち上がった。
「もうひと頑張りしてきます」
その顔からは迷いは消えていたので
「おぅ、もうダメと思ってから、あともう一歩頑張んな」
そう言うと、晴れやかにハイと返事をして部屋に戻って行った。
少し家庭教師をしていた頃のようでくすぐったい気分で、俺は野分のいないリビ1ングで読書を再開したんだ。

***

もう何度目かの道。
今週ずっと家に戻れないまま手術当日を迎え、今日も帰れないだろう野分に着替えを持って行くためだ。
手術前だし、そっと受付へ預けて帰ろう、そう思って歩いていると、背後から実にチャラっとした声が俺を呼ぶ。
「ソコの別嬪サン、乗って行きませんか〜?」
眉間に深々と皺を刻んで無視を決め込むが、すぐに追いつかれた。
「無視っスか?ひっどいなぁ、上條サン」
からりと笑ってその人物、津森が言うのでギと睨み付けると、そこには何処に何を買い出しに行ったのか、白衣のまま前カゴに小さい袋を二つ放り込んで自転車に跨がっていた。
その笑顔が余りにノー天気に見えて俺は脱力する。
「随分余裕のようですね?」
「えー?だって執刀医が不安そうにしてるほうが怖くないスか?」
ニヤリと笑って津森が言う。もちろんそれはその通りだと思うが、アンタのは不真面目に見えるんだよっ、と心の中だけで付け加えた。
ソレを察したのか片眉を上げて苦笑いをする。
そして真面目な表情になり

「悲観的に準備して楽観的に遂行する。俺の信条デス。今は成功のイメージしかねぇし、そうなるように準備して来たしね。
・・・野分も…よく勉強してましたよ?」

勘弁してほしい。
たまにこうして真剣な顔でこんなこと言われると、困る。
見直してしまうじゃないか。

どんな顔をしていいのか分からずに俯いてしまった俺を、ククと喉の奥で笑って、前カゴから片方の袋を差し出した。
「上條サンから渡してやって下さいよ」
受け取って中を確認し、俺がはっと顔を上げると津森はもうその場を去っていて。
ヒラヒラと手を振りながら自転車を漕ぐ後ろ姿を見送った。

小石を踏んで、自転車がヨロリと揺れたところを見ると、ヤツも緊張しているのかもしれないな。

機会があればアイツには交通安全の御守りでもやろう。
津森から託かった病気平癒の御守を鞄にしまいながら思った。

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