close to you

act.2

数日逡巡した結果、結局俺はこうしてここに来てしまっていた。
会えるかどうかは分からないが、昨日野分が休みだったということは、交代で休暇の可能性が高いのではないかというそれだけの理由だ。
休みだったとしても、この時間に出てくるかなんて当然分からない。
相当確率の低い当て物のようだ。

もしかしたら本当は会いたくないのかもしれない。
『やって来てはみたけど会えなかったので仕方ない』という理由が欲しいだけなのかも。

病院の玄関まで来たものの、踵を返す。
やはりアイツのことをアイツに相談ってのが俺の中で折り合わない。
足早に立ち去ろうとしたのに。
「あっれー?上條サン?」
なんというタイミング。これはある意味読みが当たったグッドタイミングと言うのだろう。でもたった今、やめようと思っていた訳だからやっぱりバッドタイミングだ。
そろり、と声の方を振り向くと白衣を脱いだその人、野分の先輩であり、かつ俺の天敵(?)津森が立っていた。
「ドーモ。仕事帰りっすか?野分まだまだ休憩できそうにないデスよー?」
白衣を脱いだせいで、その言葉は余計にヒラヒラと軽薄に聞こえる。
これでも仕事は出来るというのだから、ほんと人は見かけに寄らない。
「・・・今日はアンタに会いに来た」
いつも眇めているような印象のある目が、少し驚きに開かれた。


連れて行かれた店は、まるで夜そのもののようだった。
様々な店が建ち並ぶ飲屋街。そんなビルの地下にひっそりとその店はあった。
茶室のにじり口とは言わないまでも、通常の扉の半分くらいの高さの入り口が明らかに客を選んでいる。つまり、一見では入れない雰囲気。
身を屈めて店内に入ると、そこは夜が滞留していた。
「あ、津森さん。いらっしゃいませ」
バーというと、俺の知識では落とされた照明にカウンター、それに高めのスツール、という店内しか想像できなかったのだが(宮城教授とは居酒屋だし)靴を脱いで上がるその店はアルコールランプの揺れる明かりで照らされていて、1枚板のどっしりとしたカウンターテーブルがあるという以外は俺の知っているバーと言うものと、まるで違っていた。
床はもちろん、壁までも毛足の長い絨毯で覆われていて、凭れ掛かれるような大きなクッション、ボックス席には低いソファ。それももちろんふかふかだ。
これは居心地が良すぎて席を立てないな。
そしてカウンターの奥にはパチパチと薪が爆ぜていて、それがその店の名前の由来となっているようだ。

あのアニメにでてくるヤツって中こんなかな、と思いながら席に着くと
「ネコバスの中みたいでしょ?」
心の中を読まれたみたいでカッと赤くなるが、この明かりではばれていないだろうと思ってほっとする。
「津森さん初めて来られた時そうおっしゃってましたね。一応コンセプトは遊郭なんですが」
毛足の長い緋毛氈に障子、爆ぜる薪。まぁ確かにそれらしいといえばそれらしいが。
「ご注文は」
きょろきょろと店内を見回していたが、バーテンから声をかけられる。
「俺、常温の水と焼きうどん」
津森がまるで定食屋のような注文をした。
「津森さん、何度も言うようで恐縮ですが・・・」
「定食屋じゃねぇってんだろ。でも正吾のまかないメシが食えなくなったら俺は行き倒れる」
そのやり取りを聞きながら、しまったと思った。
食べたいものは無いかと聞かれたので、食欲が無いので静かに話せるところ、とリクエストしたのだった。
それでここに来たわけだが、津森は仕事(それも体力勝負の)の後な訳で、それを考えればメシを食える所にすべきだったのに悪いことをした。
「大丈夫っスよ、上條サンのリクエストと俺の要望を兼ね備えてるのがココなんで。現にメシ食えるし」
俺ってもしかして心の声が漏れているのだろうか、さっきから見透かされてばかりでどうも居心地が悪い。
津森さんは特別ですよ、と言いながら俺たちの目の前に美しい所作で飲み物を置き、バーテンは焼きうどんを作りに奥のキッチンへと引っ込んだ。

何にかは分からないが、とりあえず乾杯をする。
クリスタルのグラスが涼しい音をたてる。
津森は水で、俺は勧められるままにチーズをつまみながらのポートワインだ。
丸氷とグラスがカランと音をたてるのを楽しみながら口へ運ぶと、普通のワインよりずっと芳醇でとろりとした甘さが口に広がる。
ヤバイ、ほどほどにしないと止まらなくなるパターンだ。

「ついでに野分も大丈夫ですよ」

「・・・え?」
「気になってるんスよね?こないだのこと」
俺って、そんなに考えが読まれやすいのだろうか?
確かにコイツは言葉で上手に伝えられない小さな患者を診る専門だが、俺は大人で、冷静な大人のはずで。
「あ・・・いや、その。あぁ、まぁ・・・」
今更ごまかしても始まらない。
歯切れ悪く答える。
コイツの言うことは当たっていて、先日の心ない父親を目撃してしまった俺は、どうしても気になるのだ。
もちろん野分が、ああいう場面を目の当たりにていちいち自分の事を重ね合わせて傷ついているとまでは思わないが、それでも全く平気ではないだろうと。
職場も違ってすれ違う生活が多い訳だし、仕事の愚痴などはお互いに言わない。そんな中で少しでも野分の仕事のこと、置かれている環境のことを知って理解出来るようになりたいと思ったのだ。
そうしてノコノコとコイツに会ってしまい(まぁ、自分から会いに来ようとしたワケだがー)まんまと考えが読まれていると言う訳だ。
ちくしょう。

「ま、上條サンも分かってると思いますけど、いちいち傷ついてなんていませんよ。
確かにウチは救急指定病院ですから、それこそいろんな環境のコが来ます。こないだみたいなのはまだ序の口ってのもありますしネ。実際世の中は愛されてる子供ばかりじゃないってことが一番良く分かるのは俺たちかもです」
重い現実だ。
「慣れる、のか・・・?」
そいういうことに。

「んー、慣れるってか・・・そうっスねぇ、上條サンみたいに言葉のプロじゃないんで上手く言えませんケド、“世の中には納得いかないことがある”ことに納得するっつーか・・・そういうことも飲み込んで、それでも俺らが負うべきは患者の命でしょ、それは変わらんので。どんな状況でも。
アイツが一番良く分かってますよ、世の中がままならない、ってことは」

そいういう現実を悲しまないと言う訳じゃない、憤りだって感じる。
けれどもどんな状況でも、負うべきものは、患者の命。そこはブレない。
「・・・そうだな」

俺が納得してなんとなく安心を覚えたところで良い匂いがしてきた。
どうやらコイツが注文した『特製モツ入り塩焼うどん』が出来上がったらしい。
気持ちが若干楽になった俺は、もくもくと上手そうにメシを食う津森を横目に、少しくだけてバーテンと話をした。
彼が最近見たというDVDの話がきっかけで、人生の最後の食事は何がいい、に始まって、死ぬまでにコレだけはやっておきたいだとか、明日地球が終るなら、あと2ヶ月の命なら何をするだとか。

店の隅で携帯が鳴った。バーテンが津森に渡す。
地下でほぼ圏外のこの店だが、ある一角だけは電波が届くらしい。後から聞いた話だと、津森は病院で気になることがある日はココに来てもこうして携帯を預けて酒を飲まずに時間を過ごすらしい。
何もなければ、それに越したことはないわけだし。
津森はメールをチェックしてからぱこりと携帯を閉じて立ち上がる。
「俺チョット病院戻りますネ。また帰ってきますけど、上條サンはテキトーに帰ってて下さい。あ、お代はいーんで。野分に働いて返してもらいますよ。
正吾、悪ぃな、また帰ってくる」
そして靴を履きながらふと俺の方を振り返る。

「そーだ、上條サン。さっきの話ですけど」
とんとん、と靴を履き終えて扉をくぐりながら

「人生に期限切られたら、生き方が変わるんですか?」

ぱたん。
扉が閉まり、俺は夜に置き去りになる。

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