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act.1

小児科の病棟は、他の一般病棟より賑やかだ。
子供達の明るい声が響く。
でもだからといって事態も明るいと言う訳ではなく、そこは大人の一般病棟と同じで、むしろ子供が大人と同じように検査や治療を受けているのだから、実際はこの小児病棟のほうが深刻かも知れない。

しかも暖かい家族ばかりとは限らない。
育児放棄というような、病院にも連れてきてもらえないケースも世の中にはあるのだから、
こうして入院している子供たちは少なくともそれには当たらないのだろう。
けれども子供を入院させてそれっきり付き添いにもこない親なんてざらにいる。

もちろん愛情が少ない(あるいはない)という理由だけではなく、
子供のつらい姿を見ることが出来ないというような、心の弱い親だ。

そんなある日。

ろくに家に帰れないまま10日目になろうという頃、ヒロさんに追加の着替えを持ってきてもらえるようにお願いをした。
それを先輩が察知して、からかいにやってくるという、いまや定番となりつつある光景。

先輩が軽口を叩き、ヒロさんが真っ赤になって怒り(でも手は出さないようにグッと我慢をして)俺が宥める。
そんな時に耳に届いた怒声。

「お前なんてゴミだ、ゴミ」

すぐそばのカンファレンスルームの前のソファから聞こえてきた。
おそらくは母親が中で主治医の話を聞いており、子供を一人で待たせるわけに行かずに父親がともに待っていたのだろうか。

その声に、言葉に俺の心がシンと凍る。
見るとヒロさんの眉が跳ね上がり、ギリ、と唇をかんでその親子を見遣り、一歩を踏み出そうとしていた。

ヒロさん、怒っている。

よそのご家庭に口を挟むものではないだろう。
だけど、この場での(いやどんな場面であってもだが)あの発言が許されるわけがないのだ。
俺は凍り付いて、その様子をぼんやりと見ることしか出来ないでいると、
足を踏み出してその父親に何かを言おうとしていたヒロさんを、やんわりと先輩が制した。
人差し指を唇にあて、
「しー」
というジェスチャーをして、ゆったりと笑う。
そしてそのままヒロさんにパチリとウィンクを飛ばしてからその親子に向き直った。

しゃがみこんで子供と視線を合わせる。
ぐりぐりとその子の頭をなでてから父親を見上げ
「誰のっスか〜?」
いつものヘラリとした調子で問う。
「は?」
急に割り込まれた父親が、状況を飲み込めないでいると、

「この子がゴミだ、って言うなら、それは誰のゴミなんスかね?」

口調はやわらかいまま、再度先輩が問う。
そしてその子を抱っこして立ち上がると
「アンタの、だよな?」
先輩も怒っている。

一見表面上は変わらないけれど。
今日はじめて会うであろう、この父親にもきっと伝わっていると思う。
父親は言い返すことが出来ずに視線を泳がせている。
先輩とその父親、両方が何か言いかけたとき、カンファレンスルームの扉が開いて母親が出てきた。

疲れた表情のその女性の顔が、先輩に抱かれた我が子をみてやわらかく緩む。
父親は何も言わずに踵を返して去って行ってしまった。
女性は先輩の腕から我が子を受け取り
「あの、先生。あのひと何か失礼なことしたでしょうか・・・」
おずおずと問う。

その女性の、袖口からチラリと見えた腕や、厚めに塗ったファンデーションで隠しているはずの顔に、打たれた痣のようなものが見て取れた。
俺たちの視線に気付いたのか、気まずそうに眼をそらす。
「お母さん」
その子の頭をまた撫でながら先輩が話しかける。

「我慢することが頑張ってることにならねー時もあります。助けよんで下さいよ、俺らにでも、誰にでもいいから。周りに頼って下さい」

そう言って、母親の背をトンと撫でると、彼女の眼からはぼろぼろと雫がこぼれ落ち、そして先輩に頭を下げた。

暖かく、でも照れくさそうに先輩が笑ったところでピリリリと携帯の呼び出しが鳴る。
「あーい、津森」
一言二言、電話の向こうと交わした後、パコリと電話を閉じる。
「野分」
名前を呼ばれてはっと俺の凍っていた心が動き出す。
「俺行くから。オマエはいーよ、じゃ、上條サンごゆっくり」
ひらりと手を振って先輩が去って行った。

その後ろ姿を見送るヒロさん。
ヒロさんの視線の先には、先輩の後ろ姿。医師としての、頼りになる背中。
そのヒロさんの横顔を眺めて、ようやく動き始めた俺の心はざわざわと泡立つのだった。

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